ヨーロッパGPの取材を終えたボクとWさんは
カタルーニャサーキットを出て、そのまま北に向かう。
帰国のフライトは、どちらもフランクフルトから。
ボクは7月6日の21時10分発だが、Wさんは朝8時発だから
遅くとも34時間後にはフランクフルトに着かなければならない。
バルセロナ〜フランクフルト間は約1,300km。
移動に13時間、途中の2泊に7時間づつ使うとしても
34−13−14=7だから、まだ7時間ヨーロッパで遊べる!
北に向かって走りながら
この7時間の使いみちについてあれこれと策を練った。
ミシュランの地図帳を広げながら
「あまり遠くへは行けませんねぇ…」と、Wさん。
「そうですねぇ…、じゃ、ちょっとだけ寄り道して
アルプスを越えましょうか?」
山が大好きなWさんが、この案に反対するはずはなかった。
短時間でアルプスを越えるとなると、ルートは限定される。
プロヴァンスから北上し
来たときと同じ道でスイスに入るか
地中海沿いにイタリアまで行き
トリノからサン・ベルナール峠を越えるか
ミラノからシンプロン峠、ゴタード峠
ベルナルディーノ峠のどれかを越えるか
それともブレンナー峠を越え
オーストリア経由でドイツに入るかだ。
来たときと同じ道よりは違う道を通りたいし
ブレンナー経由では時間がかかりすぎるので
ミラノ経由の3つのルートのうちどれかが有力候補だった。
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バルセロナからの帰路は
とにかく距離を稼ぐため
アウトピスタとアウトルートを激走。
ショートカットのため
ニーム〜サラン間は一般道を走る。
この夜は約550km走って
ホテルにチェックインした。
翌日も地中海沿いに
アウトルートとアウトストラーダを
ジェノヴァへ、そしてミラノへと激走し
昼すぎにコモに到着した。
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しかし、ミラノまで突っ走るわけにはいかない。
ボクが日本時間で月曜正午必着の原稿を抱えていたからだ。
書くのに2時間かかるとして
午前3時にはどこかのホテルにチェックインしたい。
走りはじめてしばらくすると、Wさんが居眠りをはじめた。
だが、ここで泊まると、翌日の移動距離が長すぎる。
“せめてフランクフルトまで
1,000kmを切ってから泊まらないと…”
そう考えたボクは、なおもアクセルを踏み続け
午前2時、マルセイユとニースの中間付近の
サービスエリアに入った。
エリアの標識に“Hotel”の文字を見つけたからだ。
山の中にある小さなエリアに付属したホテルには
泊まり客も少なく
カフェバーの兄ちゃんが
めんどくさそうに部屋に案内してくれた。
部屋に入って間もなく、Wさんは深い眠りに落ちた。
ボクの仕事は予想外にはかどり、珍しく、締め切り前に完成した。
ホテルの電話では通信できなかったのでPCを抱えて表に出
駐車場にある公衆電話にカプラーを当てて原稿を送った。
ヨーロッパ滞在中に書かなければならない原稿が
すべて終わったうれしさのあまり
部屋に戻っても眠たくなかったボクは
旅行記の続きを1本書き
カフェバーでケーキとコーヒーの夜食をとっていると
いつの間にか夜が明けた。
Wさんを起こして、カフェバーでゆっくりと朝食をとってから
地中海沿いのオートルート[A8]の続きを
イタリアめざして爆走した。
ミラノに着いたら、12時を過ぎていた。
ちょうどいい。ミラノからコモは近い。コモ湖で昼食だ!
初めて見るコモの街は
細長いコモ湖の短辺に沿った美しいリゾート地だった。
石畳が敷き詰められた中心街をのろのろと走っていると
道路脇の商店から出てきたオヤジが
いきなり「ドモアリガトウ」と叫んだ。
ここにも、けっこう日本人観光客がやって来るのかな?
中心街にはパーキングが少なく
気に入った店も見当たらないので
われわれは湖畔の道をドライブしながらレストランを探した。
何となくいい感じの店がありそうな予感がしたので
小さな波止場の横にクルマを停め
そこから遊歩道を奥に向かって歩いていった。
やはり…、予感は正しかった。
波止場から数十メートルのところで
ヨーロッパ最後の昼食をとるにふさわしい店をみつけた。
“Ristorante Pizzeria FUNICOLARE”
アルプスのふところに分け入るように延びる湖水の輝きと
その向こうに幾重にも重なる山々から降りてくる心地良い涼風。
庭に植えられたプラタナスの老木から洩れる夏の陽射しも
ここでは空気の透明感をひきたたせる脇役に徹している。
ロケーションも、シーズンも、天候も
そして、背後にある白壁の厨房から運ばれてくる
ワインと料理の味も
何もかもが最高だった。
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