デュッセルドルフからオランダのアルンヘムへと続く[A3]は
ボクにはとても懐かしい道だ。
1984年、ヨーロッパ各国を転戦するメカニックをしていたとき
オランダに借りていたワークショップから
最初のレースである
イタリアグランプリに向かったのがこの道だった。
ベンツの3.5トンのバンにオートバイとパーツを積み
生活の場であるキャラバンを牽引しての遠征で
“おお、これがドイツのアウトバーンだな”
…と、初めのドイツや初めてのアウトバーンに感激したものだ。
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1983、'84の2年間
プライベートでGPを走った
福田照男チームの
'84年オーストリアGPでの
到着・テント設営風景。
左にあるベンツのバンで
右にあるキャラバンを牽引して
ヨーロッパ各地を転戦。
メカニック2人(うち1人がボク)が
キャラバンの中で寝て
ライダーはバンの
運転席後部のベッドで寝ていた。
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コーヒカップと受け皿の間に
薄い紙のコースターみたいなのが敷いてあるのを
珍しく感じたのは
ドイツに入ってすぐのところにある
ヒュンクセのサービスエリアのカフェだった。
イタリアからの帰りにオランダに入国しようとしたとき
国境の警察でバンの車検が切れているのを発見され
足留めを食らったのもこの道だ。
粗悪な軽油を入れられ
登り坂では30km/hしか出なくなったバンで数百kmも走ったり
暴風雨の中で窓が吹き飛んで
キャラバンの中が水びたしになったりもした。
取材する側にまわってからは、いつも
完全に整備された、走行1万kmに満たないレンタカーだから
30数万km走ったベンツのバンで転戦していたときのような
アクシデントはない。
それはそれで、仕事のために欠かせない条件ではあるが
旅として考えると、何だか味気ないのも確かである。
デュッセルドルフからオランダは近い。
100kmちょっと。時間にして1時間以内で
ドイツ/オランダ国境に着く。
エンメリッヒのボーダーは10年前と何も変わっていない。
乗用車の人間は、徐行して
パスポートの表紙をちらっと見せるだけで入国できる。
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デュッセルドルフから先
またしても[A3]を北西に進むと
100kmちょっとでオランダ国境。
そこから[A12]と名前を変える
オランダのアウトバーンを
アルンヘムへ向かい
[A50]、[A28]と乗り継ぐと
国境から150kmほどで
アッセンの街に着く。
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どこの国境にもある両替屋とみやげもの屋やレストラン
ガソリンスタンドなどに囲まれた駐車場に入り
まずはダッチ・フローリン(オランダ・ギルダー)を調達する。
ギルダー紙幣は、いつ見てもお札って感じがしない。
黒、茶、緑などのダークな色が主流の各国紙幣の中で
黄色が目立つ独特の色使いが際立つ。
ここではとりあえず2万円だけ両替した。
クレジットカードは日本以上に使えるし
ギルダーがダメならドイツ・マルクだって受け取ってくれる。
それに、ほとんどの街角の銀行で
日本円からの両替だってできるから
多く替えすぎるよりは足りないくらいがちょうどいい。
両替を済ませて走りだすと
オランダ側のクルマの流れの
あまりの遅さにイライラしてきた。
ドイツとは違い、オランダのアウトバーンには
120km/hの法定速度がある。
以前なら、そんなことはおかまいなしに
みんな、ドイツと同ようなペースで飛ばしていたのに
今回はどのドライバーも
どんなに空いていても120km/h以上出さないのだ。
「オランダのスピード違反の取り締まりが
きつくなったので気をつけてください」
と言っていたKさんの言葉を思い出した。
1km/hにつき何ギルダーかの罰金額が決まっていて
捕まったときにその場で払えなければ
警察署に連行されるのは知っていたが
最近は50km/h以上超過して捕まるとクルマを没収されるらしい。
Kさんの同僚のドイツ人はポルシェを没収され
罰金が払えなくてクルマを競売にかけられたそうだ。
というわけで、仕方なく130km/h程度を上限に定めて
ドイツと何ら変わらない
安全なアウトバーンをのろのろと走ることにした。
目的地はアッセン市。
オランダ北部のグローニンゲンのちょっと南の町だ。
ここで、1949年以来“ダッチTT”という名の
オートバイの世界選手権ロードレースが開催されているのである。
アッセンに近づくと、蛍光オレンジの仮設標識が姿を現わす。
畳1枚程度の大きさで
黒でオートバイの絵と“TT”の文字
そしてサーキットの方向だけが描かれたシンプルな標識だ。
オランダに限らず、たいていのヨーロッパの国では
イベント会場や迂回路など、暫定的な標識には
ややくすんだ蛍光オレンジを使うという
コンセンサスが出来上がっている。
[↑ TT]の標識に従ってアウトバーンを降り
牧場の中のぬかるんだ道をくねくねと進むと
ダッチTT=オランダGPのパドックに到着した。
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