|
||||||
|
|
|
第2回浅間火山レースは、1957年(昭和32年)10月19〜20日に、新装なった “浅間高原自動車テストコース” で開催された。このコースは、1周9.351qの未舗装。火山礫が散らばる砂利敷きではあったが、日本で最初のサーキットと呼べるものだった。 スズキはこのレースには参加しなかった。この大会では、125ccクラスと250ccクラスは、7台ずつ30秒間隔のインターバルスタートとなった。 125ccクラスでは、ヤマハの大石秀夫、宮代正一、松野弘が1、2、5位、ホンダの水沼、宇田、福田が3、4、6位、トーハツの花沢昭、鈴木伸義、泉川が7、8、9位を占め、第1回に続きヤマハが圧勝した。レース中の最速ラップタイムは、ヤマハの大石の6分16秒だった。 250ccクラスでも、ヤマハの益子治、砂子義一、下良陸夫が1、2、3位を独占。ホンダの加藤、秋山邦彦、谷口尚巳、鈴木義一が4〜7位となった。レース中の最速ラップタイムは、ヤマハの益子の5分40秒だった。 350ccクラスと500ccクラスは同時に開催された。まず350ccがスタートし、3分後に500ccがスタートした。出走8台の350ccクラスでは、ホンダの鈴木、佐藤市郎、谷口、小沢、佐藤進が1〜5位を独占。6位はホスクの杉田清蔵、7〜8位はライラックの大石享一、桝田竹志だった。レース中の最速ラップタイムは、佐藤市郎(ホンダ)の5分55秒。 出走9台の500ccクラスでは、メグロの杉田和臣、折懸六三、関口源一郎、菊池が1、2、4、5位、ホスクの井上武蔵が3位に入った。レース中の最速ラップタイムは、杉田(メグロ)の5分36秒だった。 ホンダは、第1回に続き、125cc、250ccの両クラスで優勝を逃した。
|